当ホームページでは、松尾芭蕉翁の「おくのほそ道」より、俳句をご紹介し、通常訳のほか、
現代人へのアドバイスとして、超訳(想像訳)メッセージもお伝えしています。ーーーーーー
芭蕉翁が生きた江戸時代に比べ、複雑化した現代社会を生き抜くためのーーーーーーーーーー
「こころとカラダの美的エッセンス」となれば幸いです。ーーーーーーーーーーーーーーーーー
【月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。】
「おくのほそ道/序文より」
(訳)
時は永遠の旅人である。
すなわち、月も日もそして年も、
始まりと終わりを繰り返しながら、
歩み続けて止むことはない。
(「したがって時が歩みを刻む人生は、
旅そのものであるといえる。」と次文へ続く)
【(超訳)俳聖 松尾芭蕉翁から現代人へ】
アドバイス~こころとカラダの美的エッセンス~
私は、みちのくの旅をしたいという思いが、
誘惑の神にとりつかれたように、心をかき乱し、
何も手につかなくなってしまった。
そして、さっそく準備をして、旅に出ることにした。
あなたの人生はどんな旅になっていますか?
旅心を抑えきれないほど、
ワクワクした人生を歩いていますか??
こころとカラダを美しく
健康な状態でいたいのであれば、
ワクワクすることを選んで、旅(人生)を楽しもう!
まずはできる範囲からスタートです♪
【剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質もつとも尊ぶべし。】
~おくのほそ道/日光山(栃木県)にて~
(訳)
孔子の「論語」に、
「意志堅固で虚飾のない人間は
理想の人格者に近い」 とあるが、
生まれついての心の清らかな性格は尊敬に値する。
(宿泊した場所の主人の、よけいな浅知恵や打算など
まったくなく、正直一点ばりの人間性を観察してのことば)
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【(超訳☆想像)芭蕉翁から現代人へのアドバイス】
~こころとカラダの美的エッセンス~
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生まれた時は、誰もが純粋無垢で
心の清らかな性格(性質)であったはずです。
それが、周囲の環境により、
また、自分自身の努力の状態により、
意識的に、そして無意識的にも
その人自身が作られていくのです。
そしてそれは今日も進行していました。
そう考えると、もしかすると、
あなたの生まれ持った魅力的な性質(本質)は、
厚い膜に隠れてしまっている状態かもしれません。
さまざまな体験のたびに、
新しい価値観をいつも覆いかぶせていくのではなく、
時には脱ぎ捨て、薄着になってみることも
必要ではないでしょうか。
それは、こころとカラダを
デトックスするということでもあるのです。
自分自身の隠れてしまった魅力を
見つけることもしてあげましょう♪
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時も、人生も、永遠の旅人也~
素敵な旅(人生)を☆
【しばらくは滝にこもるや夏の初め】
~おくのほそ道/日光男体山(栃木県)にて~
(訳)
(同行者の河合曾良(かわいそら)とともに)
しばらく滝の洞窟(どうくつ)にこもって、
清冽(せいれつ)な気を浴びていると、
夏籠り(げごもり*僧の夏の修行)の初めのように、
身も心も引き締まるのを感じる。
(補足:滝は岩の洞穴(ほらあな)の頂上から、
飛ぶように流れ出て、30mほど下の、
岩に囲まれた青い滝壺に落下している。
飛瀑(ひばく)によって心身のけがれを払う
禊ぎ(みそぎ)をしているかのようである。)
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【(超訳☆想像)芭蕉翁から現代人へのアドバイス】
~こころとカラダの美的エッセンス~
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同じような生活を長く続けていると、
マンネリ、停滞化することがあります。
そのような状況下では、見えるものも
見えなくなってしまう時があります。
そして、大切なものを失い、
はじめて当たり前のことをしていなかった
ということに気づくことがあるかもしれません。
こういったことを避けるためには、
感じるこころ、つまり感性であったり、
想像力、想定力といったものを
常に磨いておく必要があります。
そのためには、やはり意識して、
身も心も引き締まる環境を
つくり出していくことが
時には必要ではないかと思うのです。
滝に打たれるというのも一つの方法ですが、
日常生活では現実的とはいえません。
また必ずしも苦を伴わなければいけないと
いうことでもありません。
身近にある自然環境に触れ、
その偉大さを感じることでも
大きな効果をもたらすことがあります。
それは人それぞれではありますが、
共通して大切といえることは
ここでもやはり、
「感じるこころ」ではないでしょうか。
あなたの「感じるこころ」は
純粋さをもって、生き続けていますか?
そのことを前提に、
身も心も引き締まる環境を用意し、
時々は、身を置いてみましょう♪
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時も、人生も、永遠の旅人也~
素敵な旅(人生)を☆
【蛤のふたみに別れ行く秋ぞ】
~おくのほそ道 結びの句/
旅の終着・大垣(岐阜県)にて~
(訳)
蛤のふたと身とが別れるように、
私は見送る人々と別れて、
二見が浦(ふたみがうら)に
出かけようとしている。
ちょうど晩秋の季節がら、
離別の寂しさがひとしお身にしみる。
(補足:元禄2年(1689年)春に江戸から始まった
「おくのほそ道」の旅は、同年秋に大垣で終わります。
長旅の疲れがまだとれない芭蕉翁でしたが、このあと
すぐ伊勢神宮の遷宮を拝観しようと、また舟に乗りこみます。
この結びの句は、その時につくられたものになります。
ここで、「おくのほそ道」は幕を閉じますが、
ふたたび舟に乗りこむ芭蕉翁の姿は、
「旅の終わりはまた、新たなる旅の始まり」
という永遠の旅を続ける芭蕉翁の生き方を
鮮明にあらわしているのではないでしょうか。
*次回以降はあらためて、
おくのほそ道の旅のはじめ頃に戻り、
俳句を中心に旅の順にご紹介していきたいと思います。
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【(超訳☆想像)芭蕉翁から現代人へのアドバイス】
~こころとカラダの美的エッセンス~
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旅は一度終わるからこそ、
また新鮮な旅の始まり(の感覚)を味わえるのです。
もし人生において、(あるいは)目標達成などにおいて、
なかなか達成感が味わえなかったり、
次のステージに進めず挫折感を抱くことが多い場合には、
一つ一つの旅(目標)を短く(細分化)してみましょう。
つまり、一気に大きな目標達成を狙うのではなく、
小さな目標をつくり、それをクリアしていくことで、
ワクワク(自己肯定感を育み)しながら、
結果的に大きな目標を成し遂げる。
そうすることにより、より速く旅(目標)を
終える(達成する)ことができたりもするのです。
狙う結果は同じですが、
プロセスの中で抱く感情を
よりワクワクしたものにできるように
工夫していきましょう♪
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時も、人生も、永遠の旅人也~
素敵な旅(人生)を☆
【行く春や鳥啼き魚の目は涙】】
~おくのほそ道/旅の最初の句(東京・千住(足立区)にて)~
(訳)
過ぎゆく春を惜しんで、
人間ならぬ鳥までも鳴き、魚の眼は涙でうるむ。
今、旅に出る私どもを囲み、みんなで別れを惜しんでくれた。
(補足:親しい人たちはみな、出発の前夜から
集まってくれ、今朝は出発地の深川から一緒に
船で千住まで送ってくれた。
この世は夢・幻のようにはかなく、
別れの涙など無用だと知りながらも、
別れを惜しんで涙を流しあった。)
※「行く春」は旅の結び(大垣)の「行く秋」の句(こちら)
と、きれいに対応している。
どちらも、「行く」を用い、
新たな旅に出る意を暗示している。
いかに「おくのほそ道」がきっちり練り上げられた
紀行文であるかを証明するものである。
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【(超訳☆想像)芭蕉翁から現代人へのアドバイス】
~こころとカラダの美的エッセンス~
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私たちはこの世に生まれる前から、
両親をはじめとして、
さまざまな方々にお世話になってきました。
しかし、それは対人間のみの話ではありません。
私たちは「宇宙」の中において、
「天の川銀河」の一員であり、
「太陽系」の一員であり、
「地球」の一員として、
自然界に生かされています。
鳥や魚もそうですが、
身の回りにあるすべてのものが、
自然界の同じ一員(メンバー)として、
私たちに恵みを与えてくれています。
より高い視点に立つことを、
抽象度を上げるとも言いますが、
「謙虚さ」と「感謝」のこころを向ける
対象を広げる度合いに応じて、
私たちのこころも豊かになっていく
ものではないでしょうか。
ちょうど、季節の変化を
感じやすい時期になりました。
少しだけ いつもより
自然へこころを配ってみませんか。
こころの中からはじまる、
素敵な旅というのもあるものです♪
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時も、人生も、永遠の旅人也~
素敵な旅(人生)を☆
【あらたふと青葉若葉の日の光】
~おくのほそ道/日光(栃木県)にて)~
(訳)
ああ、なんと尊いことだ。
この山の青葉・若葉は、初夏の陽光ばかりか、
日光山の威光に浴(よく)して、照り輝いている。
(補足:以前は、日光山を「二荒山(ふたらさん)」と
書いたが、空海大師(真言宗の開祖 774-835年)が
ここに寺を建てられたとき、「日光(にっこう)」と改名。
「その日光山の威光は国中に輝き、天下は泰平である。
(山そのものが神体とも言え)あれこれと書くのは
恐れ多いので」といい、締めとしてつくった句である。
「あらたふと」は感嘆句。
「青葉若葉」が陽光に輝く姿は、
日光の神威(しんい)が森羅万象(しんらばんしょう)に
降り注ぐさまを象徴している。
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【(超訳☆想像)芭蕉翁から現代人へのアドバイス】
~こころとカラダの美的エッセンス~
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ことばを多く必要とするときもあれば、
ことばを必要としないときもあります。
きちんと自分のこころに寄り添い、ときには、
(自然を含め)相手のこころに寄り添いながら
「感じるままに」行動することは大切です。
動作を行う身と、言語表現を行う口と、精神作用をなす心
の三業(さんごう)を示す「身口意(しんくい)」という
ことばがありますが、その瞬間瞬間において、
一致した業でありたいものです。
ストレスを生み出す要素が多くなった
複雑化した社会に生きる現代の方々には、
より意識していただきたいことばです。
身口意を意識することによって、これまで
無意識に吸収してしまっていたストレスから
多少なりとも自分を守ることにもなるのです。
あなたの身口意のベクトルは一致していますか?
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時も、人生も、永遠の旅人也~
素敵な旅(人生)を☆
【夏山に足駄を拝む首途かな】
~おくのほそ道/那須 黒羽(くろばね)栃木県にて)~
(訳)
みちのくの夏の山々をめざして旅に出るが、
その峰々(みねみね)を踏破(とうは)した
大先輩の役(えん)の行者(ぎょうじゃ)に
あやかりたいと願って、(光明寺(こうみょうじ)
という修験道(しゅげんどう)の寺に招待されて、
御堂(みどう)で)、行者の高足駄(たかあしだ)を拝んだ。
(補足:「足駄を拝む」には、高足駄をはいて
山野を歩き回ったという役の行者の健脚を、
わがものにしたいという願望がこもっている。
当時の旅は、なんといっても、足が一番だいじなのだ。)
☆役の行者とは☆
7世紀後半に活躍した伝説的な山岳修行者。
修験道の開祖として崇拝された。
いわゆる山伏の先祖。法力にすぐれ、鬼神を使って、
水を汲(く)ませ、薪(たきぎ)を採(と)らせたという。
国の内外の新思想を取り入れ、独自の山岳宗教を発展させた。
本名は役(えん)の小角(おづの)。
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【(超訳☆想像)芭蕉翁から現代人へのアドバイス】
~こころとカラダの美的エッセンス~
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幼い時だけでなく、
大人になっても憧れを抱くのは
大事なことです。
あんな生活を送ることができたら。。
あんな若さを保つことができたら。。
あんな引き締まったカラダでいられたら。。
あんな頭脳明晰だとしたら。。
あの人のように。。
それならば。。。
あきらめることなく、理想を抱き続けること。
憧れの人がいるのなら、
イメージの中で、その人を自分に同化させて、
なりきって行動してみるのもよいでしょう。
現代では、「モデリング」ともいうそうですが、
脳の仕組み的にも、昔からかなり効果的な方法なのです。
俳句をつくるときは、
私になりきってみるのもよいかもしれませんよ♪
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時も、人生も、永遠の旅人也~
素敵な旅(人生)を☆
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